おいしい肉とはたくさんのことの積み重ね

社長になって何年目ですか?
急に聞かれても即答できない。なぜならそんなことを考えたこともないし、設立記念パーティーとか、たまに呼ばれて参加はするものの、自分に置き換えて考えたことがない。おそらく今後もないだろうな。
てことで、ちょっと古い書類なんかを引っ張り出してみると、27歳のときに独立しているので今年で25年目ということになります。
そのころは、牛の肉にこそ興味はあったものの生きた牛そのものには関心はなかった。牛は本来、草食動物だった、なんてことも知る由もない。もちろん、牛がなにを食べて育っているのか、だれが育てているのかなんて考えたこともなかった。
もし、いまのような私の考え方が当時あったとしても市場に受け入れられることはなかっただろう。
当時は(いまもそうだが)、サシが入っていれば「良い肉」と評価され、残念ながら味は評価対象外なのだ。つまり、畜産関係者がいう良い肉とは、ズバリ「サシ」であり、格付け等級で高評価の肉なのだ。
脂を触り、肉を見れば「おいしさ」はある程度わかる。それは長年の経験以外のなにものでもない。しかし、やっぱり食べないと正当な評価はできない。それすら好みの問題で意見がわかれるだろうが、良い評価の肉=おいしいであろうという思い込みは私の求めている商売ではない。
サシが入った肉は上等でおいしく見える。だから、サシが入った肉を安く販売すればよく売れるだろう。そういう商売もアリだが、私はそういう選択をしなかった。あくまでも自分が食べたいものを買ってもらいたい、そして肉の背景まで知ってほしい。生産者から飼料まで、すなわち環境もひっくるめた牛肉を販売していきたい。

私が考える「おいしい肉」とは、たくさんのことの積み重ねだと思っている。自分の信念であり、考え方であり、知識であり技術であり、生産者との付き合い方、牛のこと、飼料など、こうなると商売じゃなく、私にしかできないことをやっているという自己満足的な気持ちのほうが強い。
ここまでやって知って自分が納得した上で牛を仕入れて肉にして販売していくのだから、あまり利益がどうとか考えたことはない。それを考えると私が考える商売は成立しないだろう。
それよりも普通の肉屋では知らない世界にどっぷり浸からせてもらっていることのほうが重要でなによりもおもしろい。
昨日は、木下牧場で終日過ごした。なにかお手伝いしたというわけではないのだが木下さんや牛に触れているだけで自分の方向性が間違っていないかブレていないかが確認できる。
「おいしい肉」ってこういうことなのかな、牛を眺めながらそんなことをふと思った。

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