おいしさを語るにはたくさんの体験をすること
公開日:
:
2013/05/15
雑記
いまでこそ牛肉もお寿司も日常的に食べることができるが、私が幼いころは盆正月とオメデタイ席でしか食べることができなかった。
もちろん、いまは牛肉もお寿司もスーパーへ行けば買うことができるし、加工品であればそれこそコンビニで事足りることもある。そして、おいしいマズいを抜きにすればそれなりにお腹も膨れる。
1万円の料理を食べてもお腹は膨れるし、500円の定食を食べてもお腹は膨れる。お腹が膨れるという点では同じなのだ。
「胃袋→舌→脳」という考え方があって、食料不足の時代には「胃」が満足すれば良くって、それが充足されると次に「舌」で楽しむ時代、さらに成熟されると「頭」で楽しむ、というように時代背景に照らし合わせたアナロジー思考がある。
ただ、どこでだれと食べるのかで感じ方や楽しみ方が大きく変わってくるのが食であり、高級レストランで1人で黙々と食べたっておいしくもなんともない。逆に、コンビニ弁当を大勢で食べてもお腹は膨れるが心の満足は得られない。
前置きが長くなったが、なにかのアンケート調査で近江牛や松阪牛、神戸牛といったブランド牛のイメージは「高価」で「おいしい」だった。しかし、高ければおいしいかといえばけっしてそんなことはないし、安くてもおいしい牛肉もあるわけで、普段の食卓に毎日のように近江牛があれば幸せかというとそれも違うだろうし、結局はその肉が「場所」であり「場面」に合うか合わないかだと思うのです。
たとえば、BBQでサシがビッシリ入った近江牛を焼くのも、米国産のハラミやチャックリブを焼くのも、私はそれほどおいしさに大差はないと思うのです。なにが言いたいのかというと、おいしさはシーンによって大きく左右されるということです。
BBQのように太陽がサンサンと照る屋外で、大勢で肉を食べれば会話も弾んで、少し乱暴な言い方をすればどんな肉でもおいしいのです。
さて、ご存知の方も多いと思うが、伝説の寿司職人といわれている金沢の小松弥助さん。御年、82歳だったか83歳だったか、じつにリズミカルに握ってくださいます。ネタによっては写真の鮪のように包丁を入れたり握り方を変えたりするわけです。
カウンター越しに見入ってしまうのだが、鮪の真中に切り目を入れてさらにクロスに切り目を入れるのです。切り目を入れなくても十分柔らかいとは思うのだが炙ったときに花が開いたようにキレイになるのです。シャリとの相性もバッチリです。
私も、部位によっては切り目をいれるようにしているのですが、同じ部位でも出荷するその日の肉の状態で判断しています。柔らかい硬いは食べなくてもわかるのですが、味の確認のために試食はかかせません。私が肉に切り目を入れるのは、柔らかくするだけではなく、どちらかというと肉をおいしくするためなのです。だから毎日肉を食べて確認するのです。多い日は1日1.0kg以上食べる日もあります。
おそらく、弥助さんもだれよりもお鮨を食べていると思うのです。
おいしさは、たくさんの体験によって語れるようになるのです。
とまぁ、えらそうなことを言ってますが、私はまだまだです。
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