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2019年はじまりました

公開日: : 2019/01/05 あいさつ


僕の父親は熊本の中学を卒業後に集団就職で大阪の材木屋に就職した。しかし半年で倒産。熊本に帰るお金もなく、流れ着いた京都の街中をぶらついていたとき、店頭に並ぶコロッケにつられてそのまま肉屋で働いた。それから一度の転職もせず肉屋一筋、80歳を超えた今も元日から肉を切っている。その父親が今年の8月に引退する。ボケないか心配だが。

僕が肉屋で働いた経由は父親とは全く関係がない。だから家業を継いだわけでもなく二代目でもない。少しだけ父親の店を手伝ったこともあるが、父親の考え方は親が敷いた線路を歩くなだった。僕も継ぐ気はなかったのでちょうどよかった。

僕が肉屋で働いたのは19歳のときだった。そのときの板場さんは父親の弟子だった。※当時は、丁稚、追い回し、板場とランク分けされていた。

僕は覚えが良くないので、丁稚から追い回しまで3年かかった。僕の上には3人の先輩がいたがお世辞にも尊敬できる先輩たちではなかった。当時の肉屋はタバコ吸いながら肉を切り、休み時間は競馬の話ばかり。そんな環境なので仕事もおもしろくなかった。給料は13万。毎日、先輩が捌いた骨をせせってミンチを挽いてハムをスライスするのが僕の仕事だった。それでも3年経った頃には、捌きも筋引きもスライサーも使えるようになっていた。言われた仕事をそつなくこなす毎日だったがそれなりに仕事もできた。正確にはできると思い込んでいた。怒られることもあったが責任感がないので楽だった。ここで生意気だった僕は先輩たちにとんでもないことを言ってしまった。

僕のほうが上やな。

3年目の勘違いだ。一通り仕事ができるようになったので変な自信がついてしまって、つい心の声が口から出てしまったのだ。もちろんボコボコにされた。しかし、本当にボコボコになったのはそれからだった。

その後、肉の難しさとおもしろさにどっぷり浸かった。楽しかったが苦しんだ。極端な話、毎日肉を切っていれば上手下手は別にして、ある程度のことはできるようになる。しかし、それは仕事ができるとは言わない。ましてや店長を任されるとなると肉が切れるだけではなく、しっかり利益を出さなければいけない。ここではじめて責任を感じることになる。どんな仕事でも同じだと思うが、物事が見えるまで最低3年はかかる。理解できるのは4年目からでようやく教えられた意味や理屈が噛み合いはじめる。さあここからだと経営者や上司は思うが、いま3年続く子が少ないと聞く。種を蒔いてようやく蕾になったところで辞めてしまう。仕事ができると勘違いするのもこの頃だ。辞める辞めないは本人の問題で他人がどうこう言うことでもないが、その会社や経営者に魅力がないのかも知れないしね。

今年で肉を触って39年目に入る。まだまだ知らないことばかり。いったいいつになったら納得できる仕事ができるようになるのだろうか。19歳の頃には戻れないが、間違いなくあのときの3年間がいまの僕の基本であり、教えられたことを昨日のことのように思い出す。

 

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